知らんけど

楽天家気取りの考え事と日記

西岸地区、6日間  一日目

 ほんとは朝早くに出発しようと思っていたけど、洗濯して乾燥機かけて畳んでしまって、ちょっと遠くのATMまでお金を下ろしに行ってたら、結局昼前になってしまった。僕はいつもこうやって遅刻する。

 

 本当に何も決めてなくて、どうやって西岸地区に入るのかも調べてなかったから、とりあえず向かったバス停でお姉さんに声をかけてもらえてよかった。ヘブライ大学の職員だというお姉さんも僕と同じくラマッラーに行くところだったみたいで、一緒に連れて行ってくれることになった。ありがたい。

 

 ラマッラー直通のバスがあったのだけど、なぜか僕らの待ってたバス停を素通りしてしまった。こういうことはまあ、たまにある。仕方ないので、とりあえずチェックポイントまでのバスに乗ることにした。

 

 車内はやっぱりほとんどアラブ人。街並みも段々アラブ人街になってくる。バス停の名前は聞き逃したけど、このバスはもうグリーンラインの上を超えたんだろうか。そう思っているうちに、壁が見えてきた。

 

 想像していたより低い。たぶん、4メートルもないぐらい。落書きひとつない、綺麗なコンクリートの壁。どこにでもある塀みたいだ。これが、「こちら側」から見た壁。

 

 西岸地区はその周囲をぐるっと壁とフェンスに囲まれ、通過できるのはところどころに設けられたチャックポイントからのみだ。チェックポイントでは武装したイスラエル兵が、特にパレスチナ側からイスラエルに入るパレスチナ人を念入りにチャックする。観光客の僕らもイスラエルに入るときにはパスポートとビザをチェックされるが、パレスチナ人の待たされる時間と労力は僕等の比ではない。

 

 到着したチェックポイントは、大きくてがらんとしたバスターミナルのよう。バスから降りてゲートを通り、お姉さんに連れられて壁の向こう側のロータリーへ歩いて向かう。オレンジ色の乗り合いバスでラマッラーの市街地まで行くらしい。この後何度も利用することになるこの乗り合いバスは、要するに三列シートのワンボックスカーで、乗客が7人集まるまで出発しない。今回は僕らが最後の乗客だったみたいで、ラッキーだった。

 

 狭い車内から壁を眺める。外側から見た壁があんなに低かった理由が分かった。向こう側の方が地面が高かったんだ。もともとか、壁を建てた後に土を盛ったりしたんだろうか。「こちら側」からなら、壁の内側からなら、その高さがよくわかる。延々と続く8メートルの壁には、所狭しとスプレーでの落書きがあふれている。ほとんどが壁を罵倒し、占領に中指を立て、自由を主張する内容だ。時には、思わず笑ってしまうハイセンスなユーモアと共に。あんな高いところにあんなデカい落書きを、本当にどうやって描いたんだろう。

 

 ラマッラーの繁華街に着いた。乗り合いバスを降り、お姉さんにお礼を言って別れる。これから泊まるところを探すと言うと、hostel in Ramallahというホステルが良いと教えてくれた。

 

 ラマッラーは西岸地区のハブみたいな都市で、イスラエルから西岸地区に入るときには玄関口にもなる街だ。タクシーやバスや自転車がごちゃごちゃに行き交う二車線道路の両側に、肉屋やケバブ屋や服屋やジュエリーショップが数百メートルにわたって並んでいる。少し横に逸れると、大きな野菜のマーケットを見つけた。どこもかしこも人で溢れていて、とても賑やか。それでも、真ん中にデンと構えるモスクの周りだけは厳かな雰囲気が漂っている。

 

 お腹がすいたので、目の前のパン屋に入ってみた。クッキーのような小さなパンたちが、パレットにきれいに並べられている。種類も豊富で色とりどり。どうやら紙袋に好きなのを詰める量り売りのようなので、特に甘そうなのを7,8個選んだら、なんと5シェケル(150円)。店員のお姉さんが、あまり喋らないけどずっとにこにこして接客してくれたのもよかった。

 

 片手に持ったパンを食べながら街を歩く。好きな味。すれ違う人が時々振り返って、welcome!と声をかけてくれる。

 

 

 実は西岸地区に入ってまず、散髪がしたかった。ここで髪を切ってもらうために、留学開始からずっと伸ばしていたし。だから、ぶらぶら歩きまわりながらも目はゆるく床屋を探していた。

 

 道中おじさんと話し込んだり、女子中学生たちに囲まれたりしながら、地元の人に教えてもらってなんとか床屋を見つけた。おじいさんが一人でやっている、小さな小さな床屋。何故か照明もついていない。

 バーバーチェアに座ると、「お兄さんは、ゲイなのかい?」と最初に聞かれた。どうやら、伸び放題の僕の髪を見てそういうことだと思ったようだ。アラブの男性の頭は皆短く刈り込まれている。「いや、ゲイではないですよ」「そうかい、あんまり男に見えなかったもんだから」「じゃあ、男にしてください」それがオーダーになった。

 大胆に短く刈り込んで、仕上げは丁寧に整えてくれて、20シェケル(600円)。

 

 

 頭もすっきりしたところで、教えてもらったホステルを探さなきゃいけない。まだ時刻は16時くらいだけど、とりあえず荷物を置いてから散策したいし。結構な量の着替えを詰め込んだリュックは、観光を楽しむには邪魔でしょうがない。

 

 ホステルのヒントは、その名前だけだ。インターネットもないからグーグルマップで検索もできない。観光案内所みたいなところがあるのかどうかも、わからない。つまり、街の人に聞くしかない。

 

 最終的に10人くらいの人に助けてもらって、何とかhostel in Ramallahにたどり着いた。道に迷ったりわからなくなったりするたびに近くにいる人に声をかけたけど、みんなものすごく丁寧に教えてくれたり、自分がわからなかったらわかる人を呼んできてくれたり、とにかく全力で僕を助けようとしてくれたのが本当にありがたかった。

 

 

 hostel in Ramallahは、外から見れば廃墟かと疑う風貌だけど、中は割と清潔で快適で、dorm room は一人一泊50シェケル(1500円)。これまでに訪れた宿泊者たちが、ホステル中の内壁に落書きを残していっていた。そのほとんどが、様々な国の言語で平和を願うメッセージ。日本人のも見つけた。なんか見覚えがあると思ったら、以前にネットで見た世界一周旅ブログを書いてる人たちのやつだ。ホステルの名前を聞いたときは気付かなかったな。

 

 

 チェックインして荷物を置き、ちゃんとした昼食を求めてもう一度街へ出る。

 

 さっき見つけた大きな野菜マーケットに行き、何を買うでもなく見慣れない野菜や果物を見て回ってると、なにやらショッピングカートを押してマーケット内を動き回る少年たちにめちゃくちゃ絡まれてしまった。どうやら彼らは、購買客の買い物の手伝いをすることでお金を稼いでいるらしい。すまないけど今は何も買わないんだ、と断り、日本はちっちゃいけどパレスチナよりはデカいぞ、みたいな話をして喜ばれているうちにマーケットを出た。

 

 

 一本奥の通りを歩き、ファラフェルやシュワラマを扱う小さな店の前で立ち止まった。といっても実際のところ、イスラエルでもパレスチナでも、中小規模の飲食店のほとんどがファラフェルとシュワラマが主なメニューになっている。この地で手軽に楽しめる地元グルメは実にレパートリーが少ない。でもまあ結局、安く手軽に小腹を満たすにはファラフェルは最適だし、シュワラマは昼食にも夕食にもちょうどよくてバランスもとれている。なにより両方ちゃんと美味しい。飽きるけども。

 

 ということでファラフェルをテイクアウトしようとしたが、なかなかどうにも伝わらない。結局店内の席に促され、オーダーは通じたのかな?と思っているとピタとホモスが出てきた。違うけどまあいいか、と手を付けるとこれが大正解で、今まで食べたホモスの中でダントツで美味い。オリーブオイルも風味が深く、本当ならめちゃくちゃ重いホモスとピタ3枚をサラッと食べられてしまった。

 

 そして、店主と店員たちのホスピタリティがすごい。他にも客はいるのに僕のオーダーを頑張って聞き取ろうとしてくれるし、伝わらなくて僕が申し訳なさそうな顔をするたびに笑顔でwelcome!と言ってくれる。歓迎されていると全身で感じて、僕もできる限りの言葉とジェスチャーで料理の感想を伝えた。10シェケル(300円)。

 

 

  町の情報が何もないので、一度ホステルに戻って管理人に観光情報を聞くことにした。ホステルの正面ゲート横のインターフォンでフロントとやり取りして鍵が開くのだが、そこで少しごちゃつく。フロントで管理人と話すと、どうやら合言葉を僕に伝えるのを忘れていたらしい。

 

 「インターフォンで パスワードは? って聞かれたら、Wall must fall と答えてください」 僕は一瞬息を呑み、そのまま3秒固まった後、「Wall must fall …」と小さな声で繰り返した。「 I like it 」と付け足すと、管理人はニヤッと少し笑った。

 

 教えてもらったアラファトミュージアムに向かって一本道を歩きながら、僕はさっきのパスワードを口の中で何度も繰り返していた。Wall must fall, Wall must fall ….…繰り返した分だけ重みが増してくる。こんなにも切実で、力強く、悲哀と覚悟と意思のこもったパスワードを僕は聞いたことがない。本当のところ彼は、どれほどの意味をこのパスワードに込めたのだろうか。言葉そのものが、まるで生きた怪物のように感じられた。実際にこの後僕は、様々な場所でこの言葉に出会うことになる。

 

 

 20分歩いてアラファトミュージアムに着いた。正面に立って思わず、「いやマジか…」と声に出してしまった。遠くに見え始めたときから何となく気づいていたけど、改めて全体が見えると、これはハンパじゃない。綺麗に整備された青芝の地の上に、教会かと思うほどの立派なモニュメントと静謐なプール。輝くような白亜の巨大な建造物は、ミュージアムの本館とモスクだ。そして、同じく美しい白亜の、軍事パレードができるんじゃないかと思うほど広い通路がそれらを繋ぐ。この雑然としたラマッラー繁華街のすぐ隣に、こんなヨーロッパの宮殿のようなものがあるのか。

 

 警備兼案内役のパレスチナ兵に少し話を聞き、中に入る。ちなみにパレスチナ兵(実際はPLOの兵士)の軍服は国旗色の赤と緑が基調で、めちゃくちゃカッコイイ。ベレー帽なのも好み。

 

 本館内部の設備や展示方法も、大きなタッチパネルのスクリーンなど最新鋭で、驚いてしまった。これでなんと、初回入場のみ5シェケル(150円)で、2回目以降無料という料金体系。恐らくヤセル・アラファト基金から、とんでもない資金が投入されているのだろう。さすが、アラファトの名がつくミュージアムだ、と思った。

 

 受付のお姉さんから説明を受け、展示のメインコーナーに入る。ここには、地上階から3階まで続く長い長い廊下に、第一次世界大戦前から現在までのこの地の歴史が、膨大な数のパネルとディスクリプションによって再現されている。そしてところどころには、このミュージアムのコレクションである当時の物品や、パレスチナ出身の文筆家の詩も展示され、その時々の空気感を体感させる一助となっている。

 

 その中に一つだけ、絵があった。一枚のキャンバスを4つに区切って、真っ黒な墨で適当に塗りつぶしたような絵が4枚ならんでいる。最初意味が分からなかったが、そこに描かれていたものに気づくと、僕はその場から動けなくなった。1分ほど経って、ようやく大きく息を吐き、いつの間にか頬についていた涙の跡をぬぐって、次の展示に歩を進めた。次の日の朝もう一度来ることを、たぶんこの時決めたんだと思う。

 

 アラファトミュージアムにはこのコーナーのほかに、パレスチナをテーマにした国内外の芸術家の作品を揃えたギャラリーや、ヤセル・アラファトが生前生活していた部屋や会議室などのレプリカがある。18時で閉館だったので一通りサラッと見て、外に出た。夕焼けの中だとさらに綺麗だこの施設…。

 

 

 ホステルに戻る途中、屋台でカップコーンを買った。大鍋でホクホクに炒めたトウモロコシに一欠けらのバターを投入し、溶けたところにお好みでマヨネーズやらスパイスやらを混ぜて、紙コップに山と盛ってくれる。これで5シェケル(150円)だからお得。そしてもちろんめちゃくちゃ美味しい。屋台のお兄さんは、中国政府のパワフルなところが好きなんだそうだ。

 

 

 ホステルに戻ると、宿泊客の一人と管理人が何やら話し込んでいた。聞いていると、今日宿泊するはずだったヨーロッパからの旅行客が、地中海を渡る船上で殺されたという情報が入ったらしい。しかも彼は奇妙なことに、パスポートのコピー画像をなぜか事前にホステルに送っていたという。いや怖い怖い。ホラーの苦手な僕はさっさと退散した。

 

 

 夕食をとろうとまた街をぶらついていると、昼にマーケットで絡んだ少年の一人と偶然遭遇。金をくれとせがまれて困っていたが、不意に思いついて、「案内料をやるから美味しいレストランを教えてよ」と言ってみた。ギリギリのアラビア語ジェスチャーで。すると彼は少し考えて、ついてこい、と歩き出し、ちょっと奥まったところのレストランまで連れて行ってくれた。価格交渉の末押し負けて15シェケル(450円)渡すと、「I love you」の言葉と投げキッスを残して去っていった。

 

 このレストランは比較的品ぞろえが豊富なようだったけど、チキンのシュワラマがオススメらしく、12シェケル(360円)とお手頃なのでそれに決めた。確かに美味しい。それとこの店は、アメリカ出身という太っちょの店員さんがお茶目で面白かった。「ウェルカム!ご注文は?何でもあるよ、これはファラフェル、これはホモス、これはシュワラマ、ぼくはダニエル」「ん~ダニエル!」「うふふ ♪」

 

 

 ホステルに戻ってシャワーを浴びる。好みとかじゃないレベルで水圧が弱い。詳しくは後述するが、トイレットペーパーをトイレに流せないことなんかも含め、これもパレスチナが置かれている抑圧された現状の一面だ。全身を流すのにとにかく苦労した。

 

 その後は、フリーのコーヒーを片手にルーフトップでゆったり。ホステルのルーフトップってなんであんなに最高なんだろうね。管理人や他の宿泊客とヘラヘラおしゃべりしながら、明日はヘブロンに向かおう、と決めた。切ってもらった前髪をスマホのインカメで見ていたら鬼のように盛れた自撮りが撮れてしまって、一人で爆笑した。

 

 

 バスルームに貼ってあった張り紙のユーモアというか風刺のセンスがキレッキレだったので、いくつか載せて、1日目おしまい。

 

 

 

f:id:whether:20191022050512j:plain

 

f:id:whether:20191022050607j:plain