知らんけど

楽天家気取りの考え事と日記

西岸地区、6日間  まえがき

 パレスチナ問題と総称される、地中海東岸の小さな地域にくすぶる諸問題を語るとき、すべての根幹をなす領土を巡る議論の場において絶対に外せない中心的概念が、シオニズムである。

 

 シオニズムは元々、イエス再臨の前兆として離散ユダヤ人が再び集合し、エルサレムの地に国家を建設する必要があるとする、キリスト教再臨派の一部が強固に主張してきた教理であった。厳密に聖書に忠実な彼らの議論の中では、「エレツ・イスラエルイスラエルの土地)」は時にナイルからチグリス・ユーフラテスまで広大な範囲に及ぶ。この最初期のシオニズムは、クリスチャン・シオニズムとして現在に続いている。

 

 このクリスチャン・シオニズムの土壌と後押しがあったうえで、1896年、ドレフュス事件に衝撃を受けたテオドール・ヘルツルが『ユダヤ国家』を出版し、ユダヤシオニズムに初めて具体的な形を与える。彼が「シオニズムの父」と呼ばれる所以である。

 

 はじめのうちはアラブ人と平和的に共存していたユダヤ人であったが、第一次世界大戦後、シオニズムの文脈における「エレツ・イスラエル」は英国委任統治パレスチナという地理的概念を得る。バルフォア宣言によって領土占有的性格を強めるシオニズムとアラブの対立は国際問題に発展し、1947年、パレスチナ分割決議が国連で採択される。

 

 人口比と領土面積比の非対応だけでなく、そもそも後から移住してきたユダヤ人がパレスチナの土地の一定面積を占有することに反対するアラブ側は、この決議案を拒絶する。これにより、第一次中東戦争が勃発。イスラエルが勝利し、国連パレスチナ分割案よりもさらに広範囲の土地を占領する。同時に70万~80万人のパレスチナ難民が発生。この時アラブ側の占領地として残ったヨルダン川西岸地区ガザ地区を縁取る停戦ラインがグリーンラインとして、パレスチナに主権が移った後の正式な領土線とされている。

 

 現在、ヨルダン川西岸地区はその統治形態によってエリアA,B,Cに分割され、実質的にパレスチナが統治できるエリアA,Bは合わせて全体の40%に留まる。またイスラエルは西岸地区内での入植地建設を精力的に推進し、武装兵によってパレスチナ人の出入りが禁止される土地が今なお増え続けている。さらにイスラエル政府が「セーフティフェンス」と称して西岸地区を取り囲むように建設した分離壁は、グリーンラインから数~十数kmパレスチナ側に食い込んだ位置にそびえ、パレスチナの地理的統合を妨げる要因となっている。

 

 上記に加え東エルサレムも含めたイスラエルのすべての占領行為を国際法違反だとして国連が批判しているが、現在のところイスラエルはそれを無視している。最近では、さらに多くの西岸地区の土地やシリアのゴラン高原を正式にイスラエルの領土に組み入れようとする動きも、イスラエル政権の中に見られている。

 

 

 以上の経緯により、現在、どの範囲をイスラエルと呼び、どの地域をパレスチナと呼ぶかということは、それ自体が政治的意味を帯びざるを得ない。

 

 

 

 

 パレスチナヨルダン川西岸地区に行ってきた。ホテルも取らず、ノープランで。大部分が外務省の出している危険レベル2に該当するので、関係各所には内緒で。6日かけて、西岸地区内の主要5都市すべてを、見て回ってきた。

 

 内緒だから、留学用のブログには書けないのだけど、ものすごい量になった旅のメモをやっぱり文章の形に残したくなったので、ずっと放置していたこのブログを利用させてもらうことにした。読んでくれた人も、どうか内密に。

 

 

 最初に断っておくと、6日間で写真はほとんど撮っていない。もともとモノを写真に撮るという行為がどうしても好きになれなくて、苦痛で苦痛で仕方がないから。そのわりには記憶力が弱くて、記録に残さないとすぐに全部忘れてしまうくせに。これは僕に残された、大人になるために乗り越えなきゃいけない壁のひとつかもしれない。

 

 でもやっぱり、留学用ブログにあげるために頑張って色々写真に撮ってた最近はすごくストレスでしんどかったから、スマホもカメラも構えずに自分の五感だけで体験を味わい尽くせた6日間は本当に、本当に気楽で、めちゃくちゃ楽しかった。だから写真は、本当に限られたものしかありません。

 

 

 それと、旅行記旅行記とも言えないふにゃふにゃの駄文乱筆になってしまうのも、お許しください。元々それ以上にするつもりのなかった記録用のメモにちょっと助詞を足して、文章にするだけだから。それに、留学用ブログほど人に読ませるつもりの文章でもないから。それに、ちょっと時間が無くて推敲なしでバーーっと書いてるから。言い訳ばっかり。

 

 それでも、僕が足を運んで感じた雰囲気が、少しでも伝われば幸いです。

 

 

 あ、パレスチナのまとまった解説とか問題の体系的な説明とかは、後々留学用ブログでしようと思ってるので、今回はあんまり解説ナシ。僕の直接的な体験だけで。