知らんけど

楽天家気取りの考え事と日記

パラダイス・ナウ

ポスター画像

 

映画を見て泣くのは、初めてだった。

そして願わくば、もう二度と、こんな泣き方はしたくないと思った。

 

今まで結構な映画好きを名乗っていたのだが、実は、映画を見ていわゆる”号泣”したことは、これまでなかった。もともと僕が泣く癖のないタチであることもあって、好んで見る映画はアクションやコメディよりも専らシリアスな人間ドラマばかりなのにも関わらず、どれだけ心を揺り動かされても、せいぜい片目の瞼に少し溜まる程度の涙しか出ない。

それが、この『パラダイス・ナウ』は、まるで違った。

いつものように部屋を暗くし、少しのお菓子と紅茶を淹れて、90分、本編の最後のカットが閉じたその1秒後に、僕の両目から2粒ずつの涙が、一気に顎まで流れ落ちた。そこからはもう、とめどなく溢れてくる涙も鼻水も止めることができずに、読めもしない文字ばかりが流れる無音のエンドロールを見つめたまま、声にならない嗚咽を漏らして泣いていた。泣き過ぎて頭痛がしていることに気づいて、やっと立ち上がってDVDを取り出し、もう一度座って、考えた。僕は、どうして泣いたんだろう。

”感働”でないのはもちろんだが、”悲しみ”と言えるようなものでもない。”怒り”でも、”安心”でもない。”痛み”というと、少し近いかもしれない。そして、今はまだ結論を出さないようにしよう、と思った。まだ、というか、まだまだ。これは、僕がこれから何年かけて、追いかけていくんだ。

 

監督も同じようなことを言っているけど、この世界には”悪”も”正しさ”も存在しない。そして、カミサマも信じていないような人間があれこれ語り合っても無意味だと思えるような問題が、世界にはいくつもある。

それでも、”知らないことは罪”なのだ。僕たちはお城の中で生きているということを、常に意識していなければいけない。

でも、本音では、本当は、僕は僕の大切な人たちに、こんなものに触れずに生きていてほしい。一生お城の中で、そこがお城だとも気づかないまま、外の世界を見ることなく”幸せ”に人生を終えてほしい、と思ってしまう。

何より、受け止める覚悟が無いならばこの映画を見ることは危険だし、完全に流された感想を抱いてしまうならこの映画を見て語らない方がいい、と思う。

それでももし見てみようという人がいるなら、特典映像まで全部、最後まで見てほしい。泣いても喚いても誰にも邪魔されることのない、一人っきりの暗い部屋で。純粋に芸術作品として、ものすごく美しい映画だから。僕もそこに涙したのかもしれないな。

 

「話して君の同情を買う? いい生活をする人の余興だ」というセリフが、どれだけ刺さったか。