知らんけど

楽天家気取りの考え事と日記

西岸地区、6日間  四日目

 

まさにアラビアン・ナイトの挿絵のような、夜明けの光が天蓋ベッドのレースカーテンに漂う薄明かりの中で目を覚ました。ということはつまりかなりの早起きだったわけで、ロビーに降りると当然他に宿泊客の姿はなく、僕がその日最初の朝食になるようだった。

 

朝食メニュー表に並ぶ小皿から好きなものを選べるらしく、「いくつか頼んでもいいんですか?」と訊くと「全部頼んでもいいですよ」とのこと。全部いってしまうと朝食の量じゃなくなることはわかっていたので、「パンの盛り合わせ以外全部」とお願いした。やはり周辺の安ホテルなどとは格が違い、出てきたものはそのどれもが、デーツの質ひとつとってみても高級感がある。パン無しでも十分に多すぎたフルコースみたいな朝食を、ゆっくりと時間をかけて一つ一つ小皿を味わいながら、硬すぎて歯が欠けるかと思ったグラノーラ以外は大変美味しくいただいた。

 

 

せっかく早起きしたので、涼しいうちに朝の散歩へ。前日にフロントでもらったパンフレットを見て、小さなギャラリーがあるという方へまずは歩き出してみることにした。

 

ベツレヘムの大通り沿いには、地中海沿岸のギリシャ世界を思わせる綺麗な白壁の家々とその間を縫う路地が続き、パレスチナの他の都市とは大きく異なった印象を抱かせる。一枚の絵画のような真っ白なテラスで朝食中のおばあさんが柔らかい笑顔を向けてくれたり、大きな荷物を抱えたアラブマッチョが足元についてくる野良の子猫を困った顔で家に入れてあげていたり、朝からなかなか癒されてしまう散歩道のようだ。

 

街の中心地に近づいてくると、「STAR & BUCKS」や「SQUAREBUCKS」のような店が増えてくる。中には、堂々とSTARBUCKSの看板を掲げている、どう見てもスタバではない小さなボロい小屋もある。いたるところで見られる”STARBUCKSのパチモン”は、パレスチナのB級名物といってもいいだろう。STAR & BUCKSはパレスチナ各都市に店舗を持つチェーン店なのだ。

 

この堂々とした感じがいかにもアラブらしいな、なんて思いながら歩いていると、雑多にひしめき合う市場が突然途切れ、目の前にだだっ広い空間と巨大な四角い石の建造物が現れた。事前に街の地図を全く見ていなかったから気づかなかったのだけど、どうやらふらふらと歩いているうちに、イエス・キリスト生誕教会 Church of Nativityにたどり着いてしまったようだった。そして同時に、このあたりの「異質さ」の正体もあっけなくわかってしまった。ここは、西岸地区でも飛びぬけて「キリスト教色の強い都市」だった。

 

教会の周りにはピースセンターや大小のギャラリーもあるのだけど、不運にも日曜日だったのでその多くが閉館していて(これがユダヤだと日曜はもう週が明けている)、仕方なく僕は、まっすぐ教会へと向かった。

 

本当に、こんなにも呆れるほど巨大な建造物なのに、観光客が頭をかがめて一人ずつ通っていくその正面の入り口は、僕の実家の台所の勝手口より小さい。僕も観光客の団体の後について、幅1メートルも無いような狭い岩の隙間を数メートル進まなければいけなかった。ところが、肩が詰まってしまうんじゃないかと思いながらくぐり抜けたその先には、思わずその道を後ずさってしまうほどの、大きな空間が広がっている。なんで後ずさってしまうかって、なんというか、もう空間の大きさそのものにある種の畏怖を感じてしまうからだ。

もう一つには、縦にも横にも大きく広がったその巨大な空間が、なんだか空っぽではないように感じたから。まばらに観光客が見えるとはいえやはり圧倒的にがらんと空いたその空間に、それでももっと大きな何かが含まれているような圧を感じて、またしても腹の底がひんやりしてしまった。パレスチナの街を歩いていると、こういう感覚にちょこちょこ出会う。

 

とはいえ、教会の内装は実に厳かで美しくて、教会の中央を祭壇まで縦に連なって吊り下げられたモロッコグラス風のランプは、どの角度から見てもこの空間のアクセントとなる優美な明かりを放っている。正面奥のこれまた大きな祭壇は残念ながら工事中のようで、一面に白い布が掛けられていたけど、その布の前で司祭を正面に、観光客を含め30人くらいの人々がお祈りの真っ最中だった。あんなにも大きな声で祈るんだな。

祭壇を回り込み、たくさん掲げられている宗教画を一つずつたどっていると、祭壇の真横から下の方へ降りていく狭い階段があるのを見つけた。下ってみると、上の祭壇の真下に岩で囲まれた小さな空間があり、その床の一か所に人々が代わる代わる口づけをしていてる。この教会がイエス生誕のまさにその地の真上に建てられたんだなと、すぐに分かった。聖地であるイエス生誕のいわば「遺跡」に列をなして口づけをする人々を、その周りに離れて立っている数人の聖職者がなぜかずっと見守っていて、口づけを終えた人々が彼らにお金を渡そうとするのを受け取ったり受け取らなかったりしていた。なんだあれ。

下ってきた方と反対側の階段からまた祭壇の横に上がってくると、そこにはひときわ大きな聖母マリアの絵があって、その前の蝋燭立てに人々が順番に火を灯していき、そのあとまた絵にキスをしていた。蝋燭立てのところで小さな子供たちが遊んでいたので、厳かな空間の唯一かわいらしく世俗的な光景に微笑んで見ていたら、子供たちを少し怖がらせてしまった。

 

教会の裏口みたいなところから外へ出た。市場まで出る途中に宮殿というか別荘めいたところを通ったのだけど、これがまあ驚くほどに美しい。とこまでも続くような白石の回廊や中庭への光の入り具合、中に入れないように閉まってある門の扉の透かし文様までもが、静謐なのに豪勢で麗しく、珍しく興奮して写真まで取ってしまった。

 

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そしてそのあとたまたま通りがかったベツレヘム大学の、その知名度の割の建物の粗末さにがっくりしてしまった。

 

 

この街は生誕教会を中心に商業が展開している、いわゆる城下町的なところが少なからずある。教会を出て、そこからまっすぐに伸びる雑多な市場を客引きをかわしながら歩いていると、ふとキリスト教シリア正統派教会の文字が目に入った。ベツレヘムにシリア正統派キリスト教徒のコミュニティがあるとは此れ如何に、とその「シリアクラブ」なるものを訪ねてみようと降りて行ったところで、小さなカフェのおっちゃんに呼び止められてしまった。

間口が1.5メートル、扉もない小さな空間にものやポスターが山ほど詰め込まれた、キオスクのようなカフェだ。客引きの手練れらしく、めちゃくちゃ気はいいけど一度声をかけた客は逃がさない狡猾さで、「スペシャルなんつくったるからな!」(これくらいの勢い)と何も頼んでいないのに”スペシャルな”紅茶をつくり始めてしまった。あれよあれよという間に一つのカップにミントもレモンもシナモンもジンジャーも詰め込まれていく。商売人魂とサービス精神が同じぐらいの勢いで溢れているようだ。「兄ちゃんも知ってるアメリカの有名なコメディアンも俺の店に来てくれたんだぜ!」と、ポスターに埋もれた一枚の写真の中でアメリカ人らしき若者と店主が肩を組んでいるのを見せてくれたが、もちろん一ミリも見たことがない。店主が騙されたのか俺が今騙されているのかどっちなんだろう。そうするうちに「できたぜ!」とカップになみなみとした”スペシャル”を渡され、「兄ちゃんが思う値段でいいぜ」と言われたので、悩んだ末に10シェケル(約300円)払った。喜んでくれたけど、良かったのかな。味は、あまりにもスペシャルすぎてよくわからなかった。

 

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歩き出したところで、Swedish House MafiaのDon’t You Worry Childのアラブver.がどこからか聴こえてきて、思わず笑ってしまった。エルサレムパレスチナでもAviciiやSwedish House Mafiaのような北欧ハウスミュージックは人気があってよく聴かれているのだけど、たまにそれがクルアーンを朗誦するようなアラブのおじさん歌唱ver.で流れてくることがあって、そのたびに独特の緩いアレンジにめちゃくちゃウケてしまう。

 

 

ホテルに戻る道中で、道端のベンチで煙草をくわえているおじさんから突然「どこから来ましたか」と日本語で話しかけられて驚く。少し日本に住んでいたことがあるんだよ、とのこと。久々に生で日本語を聞いた気がした。

 

ホテルのdorm roomに戻り、相部屋のヨーロッパ人ぽい女性と今日の予定について少し話して、部屋にあったメモ紙でベッドの上に感謝の書置きを残してからフロントでチェックアウトをした。ロビーに降りようとエレベーターのボタンを押したら、そのエレベーターがフェイクだったというオチ。

 

 

ホテルの前からずっと続く壁の周りを歩いて、一面の落書きを見て回ることにした。

壁には実に、実にたくさんの落書きが、実にたくさんの人々によって隙間なく書き込まれている。上書き上書きでぐちゃぐちゃに入り乱れている部分もあれば、壁を構成する1m×8mのコンクリート板一枚ずつに綺麗に記事が宛がわれた、整然とした部分もある。内容はアートの形をした切実なメッセージや、ネルソン・マンデラなど平和活動家の言葉など。壁やこの街の歴史を数十メートルに渡って挿絵付きで綴っている部分には、急病人がエルサレム側の病院に運ばれなければならないのに救急車が壁を通してもらえないというエピソードもあり、それを見て僕は自然に日本の入管を思い出していた。(「出入国在留管理局」で検索)

新聞のコラムの切り抜きを模したような描き方で、壁の向こうのエルサレムから来た女の子と恋に落ちる”こちら側“の若者のストーリーもいくつか見つけた。そして最もいろんな場所で、何度も繰り返し描かれているのは、ある日突然、問答無用で破壊される、パレスチナの家や畑や日常だった。

 

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生誕教会で声を掛けられたタクシー運転手のおじさんに、ジュース屋の前で偶然再会してしまう。強引にテラスのテーブルに座らされてしまったが最後、「格安ベツレヘムツアー」の熱い申し出(客引き)をどうしても振り切ることができず、交渉を粘りに粘った末に往復40ドルでツアーをお願いすることになった。

 

タクシーで砂漠を走る道中、おじさんと話しをしていた。

俺はちゃんと法定速度で走ってるからな、とやたらとアピールしてくる。パレスチナのハイウェイの法定速度は日本のより遅いらしい。

ツアーを受注したことでご機嫌なのか、しきりに「お兄さんは英語が上手いよ」と褒めてくれた。ベツレヘムに来る日本人観光客は皆英語が全然できず、口をそろえて「バンクシーのところへ」としか言わないそうだ。バンクシーが占領のことを発信してくれてるのはありがたいけど、それも分からずに見世物のようにバンクシーだけ見に来るのもなあ…、とおじさんは毒づいていた。

ふと気になって聞いてみると、ベツレヘムパレスチナの中でも発展しているのはやはり生誕教会があるからなのだと。

 

そんな話をしているうちに、ベツレヘムが一望できる山の上に到着していた。俺は車で待ってるから、というので一人で登ってみると、山頂から山の内部を下りていく、数千年前の洞窟遺跡らしかった。言葉で形容しがたいけど、砂漠の真ん中の山で足元の薄暗い洞窟から下へ下へ降りていく感覚は少年心を大変にくすぐられ、僕はちょっとゾクゾクしながら慎重に中を巡った。

 

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駐車場に戻るとちゃんと車があってちょっとホッとする。

 

+40ドルでもう一ヶ所”amazing”な教会へ連れて行ってやるという申し出はお断りし、日本の季節と気候の話をしながら生誕教会まで戻ってきた。ドルとの換算をなんとなくはぐらかされながら結局150シェケル(約4500円)取られてしまったので、お礼を言って別れたその足でポリスにATMの場所を教えてもらって、1000シェケル新しくおろさないといけなかった。

 

ホテルにあったパンフレットで目をつけていたレストランに行きたくて、教会前の広場にいた人たちに聞いて回り、6人目くらいでやっとそのレストランを知っていたタクシーの運ちゃんに連れて行ってもらうことにした。

そのレストランは、エリアCにあった。

パレスチナ西岸地区はその統治体制によって全体がエリアでA,B,Cに分かれていて、エリアCは統治権力や治安維持権力に最もイスラエルの影響力が大きく介入している。タクシーでの道中、僕はパレスチナ人のその運転手がエリアCのことをもはやイスラエルと呼んでいることに気付いた。

ベツレヘムの次はナブルスへ行こうと思っていると言うと、ナブルスへはラマッラーを経由しないといけないよ、と教えてくれた。そうしてタクシーは住宅街の小道を縫って急坂を上っていき、めちゃくちゃ辺鄙なところに到着、「ここだよ」と降ろされた。50シェケル(約1500円)

 

山肌に張り付くように構えるレストランの店内では、ガタイの良いお兄さんたちが開いてるのか開いてないのかわからない顔でダベっていたけど、どうやらギリギリまだランチはやっているようだ。屋根下のテラスでとても眺望の良い席に通してもらった。

大量のハエをかわしながら全然出てこないマクルーベを待っていると、家族連れらしい3人組の女性客が入ってきた。そのうちの一人の短髪の女性がとてもタイプだったので少し見ていたのだけど、彼女たちはなんだかいかにもイスラエルユダヤ人然としていて、なんとも入植者らしい、西岸の他の土地では見ない人々なんだな、と思っていた。

やっと出てきたマクルーベはそれはそれは美味しかったし、とても多かった。

 

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レモネードをプラスチックカップに移し替えてもらって、重いおなかを抱えて歩き出した。エリアCということもあってなんとなく住民に鉢合わせるのを避けたくて、人が集まっているのを見つけるたびに迂回しながら時間をかけて山を下り、やっと最初にベツレヘムに来た交差点までたどり着いたけど、そこからセルビスが全然つかまらない。歩道でうろうろしているところに、対向車線側からクラクションを鳴らしてこちらに手を振っているタクシーがあった。客引きかと思ってかわすもどうもしつこいので、近づいてみると、セルビスの乗り場まで連れて行ってくれるという。怪しいと思いながら恐る恐るお願いしてみたら、本当にセルビスの乗り場まで連れて行ってくれて(歩いては行けないような場所にあった)、しかも15シェケル(約450円)という良心的なお値段。パレスチナでは僕みたいな観光客に対する現地の人々の親切があまりに親切すぎて怪しんでしまい、後で反省することがよくある。

 

 

セルビスに乗って、ラマッラー経由でナブルスに到着。街の中心部で車から降りたその場所で、周りを見回して「なんだこれは…」と立ち止まってしまった。さっきまでのベツレヘムとはまた違う意味で、他の都市と全然違う空気を感じる。めちゃくちゃ都会で、内陸都市なのに臨海リゾートのような爽やかさがあり、同時にアラブの荒くエキゾチックな空気が充満している。

とりあえずホテルを探そうと思って歩き回ってみたけどなかなか見つからなくて、途方に暮れていると、タクシーが止まって声をかけてくれた。英語が通じなかったので、ネットが無くても使えたgoogle翻訳と絞り出したアラビア語でなんとか安いホテルを探している旨を伝え、そこから近いホテルに乗せていってもらえた。

一晩100シェケル(約3000円)で通された二人部屋の中には、たまたまなのかリビングと洗面所で合わせ鏡になっていて、怖がりの僕は思わず「ふざけんな」とつぶやいた。

 

 

荷物を置いてとりあえず市場へ。

人の群がっている人気店らしい店で、アラブのコロッケのようなものを1つで3シェケル(約90円)。とても美味しい。

歩きながらリンゴを齧りたくなって、手押し車に山盛りのリンゴの中から一つ欲しいと声をかけると、リンゴひとつを買うことなんてまずないからか、お金はいいから持って行けと言ってくれる。でもそれはさすがに申し訳ない、払わせてくれと、押し問答の末に2シェケル押し付けるようにしてその場を後にしてしまった。どっちにしろちょっと申し訳なかったかな。リンゴはめっちゃ美味しい。

路地の奥のボードゲームバーから、たむろしていた若者たちに手招きされたけど、さすがにちょっと怖くてお断りしておいた。

 

それにしても、街を歩いていると、どうも違和感のようなものが視界にまとわりついて晴れない。形容しにくいけど、近代化抜きに発展したような独特な感じがする。

 

小さな屋台で、プラスチックカップのミルクプリンに柑橘系のシロップを掛けたようなものを見つけて、即決でひとつ買った。シロップがめちゃくちゃ甘くてのどが渇く系の、僕のお好みの感じだ。西岸では都市ごとに初めて見るような屋台を見つけて、そのたびに必ず買ってしまう。そして外れがない。

 

とってもきれいな満月。砂漠は月が美しいというのは本当だな。

 

ふと道が開けて、市場に遭遇した。さっきのとは比べ物にならない、とても大きくて、賑わいのある市場。その瞬間、直感的に、僕がこの街に抱いていた違和感の正体がわかってしまった。この街には内需があるんだ。

パレスチナの多くが観光業と外来資本に支えられている中で、このナブルスには都市を発展させるだけの内需があったんだろう。この街はいわば唯一の”普通の”パレスチナの街であり、パレスチナ人による産業がパレスチナの人々によって消費されて発展して、この「西洋化抜きの都市化」が進んできたんじゃないだろうか。

そのもう一つの証拠に、この街の人々は商人でもタクシーの運転手でも、英語が全くできない人が明らかに多い。英語ができないと仕事のチャンスが限られてしまう他の都市やエルサレムと違って、この街では地元住民だけを相手に十分商売ができるということも、その特徴の一つの側面なのかもしれないな、と納得した。

 

さすがに市場もその日の営業をあらかた終えた時間で、人に揉まれることもなくふらふらと歩いていると、市場の真ん中にいきなりモスクが現れた。よくあるドーム型じゃなくて四角く細長い普通の建物だからパッと見はわからなかったけど、中を覗いてみると明らかにモスクだ。まだ礼拝の時間ではなかったようで、中には2,3人しか見えなかったので、ロッカーに靴を仕舞って中に入ってみることにした。

 

モスクの中というのは、何回入ってもその空気の厳粛さにビクビクしてしまう。

その辺に座っていた老人の一人が僕に気付くと手招きしてきて、お祈りが終わるまで待っていたらイスラームについて教えてあげると言う。お祈りの時間が近づいてきてたのか、気づくといつの間にかモスクの中にはどんどん人が入ってきていた。

小学生ぐらいの子供から老人まで、お祈りは壁に向かってみんな一列に横並びになって頭を下げる。中央のスピーカーから流れる放送に合わせて一斉に立ち上がったり膝をついたりするのだけど、たまに遅れて入ってきた若者がササッと列に潜り込んで混ざったりしているのが、なんとも人間らしい。足腰の具合の良くない老人は、椅子に座ってお祈りすることもできるようだった。

お祈りが終わると、それぞれ隣の人と握手したり、世間話を交わしたり…。地域のつながりが特別強いアラブの部族社会では、モスクと礼拝の時間がこんな風に人々の毎日の交流の場として、その結びつきを保つ役割をはたしているんだろう。 中には放送が終わっても一人でお祈りを続ける人もいた。

 

さて、礼拝を終えた先程の老人が嬉しそうに僕の方へ歩いてきて、いかにもアラブ風のゆったりとした英語で、イスラームの意味やその教え(「イスラームとは愛なのだ」みたいな)を語ってくれる。いつの間にか彼の友人らしい人たちも集まってきて、結局僕は4人のおじさんに囲まれて日本のことを質問攻めされる羽目になった。その中でも英語の堪能な一人の小柄なおじさんが、特に日本の宗教観について熱心に聞きたがっていて、その質問から関心の中心が「教え」や「戒律」、「禁忌」であるようにうかがえた。

あんまりにも質問攻めが激しく、明日も来いと言われんばかりだったので、明日日本に帰るんだということにしてその場を後にさせてもらった。うっかり信仰告白をしてしまい、「これで君も世界中にいるムスリムの一員だ」と言われてしまったけど、まあこれくらいはアラブをサバイブする術のひとつということで。

モスクを出るとき、棚に置いておいた靴がそのまま残っていたことに、少しハッとする。当たり前のことだけど、それでも僕にとっては、異国の地で他のと明らかに違う靴を無防備に置いておいても盗まれることがないというのは、やっぱり少し驚いてしまう。そして自分のパレスチナの人々への無理解を反省し、イスラムについての話をまた思い出す。ムスリムは法よりもむしろ神からの戒律によって本来盗みをはたらくことはしないし、そもそもムスリムであることがすなわちその人の誠実さの証明でもあるのだと。

 

4人のおじさんの中でも一番熱烈に握手をしてくれたおじさんが、夜道をモスクからメインストリートまで案内してくれることになった。熱心に話しかけながら先導してくれるのをついていくのだけど、旧市街の中のなんとも細く暗い裏路地ばかり進むのでどうしてもビビってしまう。たむろしているお兄さん方のそばを通り過ぎるとき、おじさんがあいさつしたので「知り合いなんですか?」と訊くと、「全然知らない人にでもアッサラームアライクムって言うんだよ」と。

 メインストリートに出る手前で、前から歩いてきたもう一人のおじさんを「兄弟さ」と紹介してくれた。お兄さんにも熱烈なハグを頂いたけど、いやいや、おじさんが西田敏行だとしたらお兄さん高田純次じゃないか。

おじさんは本当にホテルの前まで送ってくれた。「本当は僕の家に呼んでもてなしてあげたいんだけどね」という言葉に、思わずこっちも胸が熱くなってしまう。名残惜しむような熱い抱擁をして、おじさんは帰って行った。

旧市街の暗い路地で前を歩くおじさんに少し不安を覚えてしまった自分を恥じる。本当に、ムスリムの人を疑っては申し訳ない。

 

もう一度だけ街に出て、目をつけていたとってもオシャレなコーヒーショップへ。Ice Spanish Cappuccinoを受け取って、歩き出しながら一口飲んで、美味しすぎてその場で立ち止まってしまった。つくづくこの国のコーヒーのポテンシャルは底が知れない。明日の朝必ずこの店にミルクシェイクを買いに来ようと、その時誓った。

それにしてもスタイリッシュでおしゃれな店だ。ここは堀江か中崎町か。こんな店、ラマッラーにもヘブロンにも、エルサレムにも絶対無いな。

 

ホテルに帰る途中にお茶目な屋台のトウモロコシ屋に呼び止められ、一つ頼むと、トルコアイスのようにひょうきんに一カップのコーンを渡してくれた。10シェケル(約300円)。

 

水を買ってホテルに帰る。エルサレムのホステルで好きだったミントティーにロビーで再会した。一杯飲んで一杯部屋に持ち込んで、この日はお終い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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普段はどちらかというと夏が嫌いで、川と海と素麺と線香で辛うじて容赦してやっていたくらいなはずなのに、いざ引きこもって夏の諸々から逃れてしまうと、不思議なことにそいつらが本来享受できていたお楽しみみたいな顔をして、恋しくさせられてしまうものなのですね。コロナ禍でいろんな事がお預けになっているような欲求不満や焦りと、そんな平和ボケした考えはできない自分、言い換えると、世の中に起こること全ては自分の人生のライフイベントであって、そして自分自身は世界を構成する一要素であること、その二面性というか、入れ子構造というか、矛盾みたいなもの。ちょうど去年のこのぐらいに『GINGER&ROSA』を観てから、そういうことにちゃんと折り合いをつけられるようになってきたと思う。自分の中にポッと生まれた感情を、良いか悪いか評価する前に、まずは可愛がってあげられるようなこと。「大人になる」ことを、誤ってしまわないように。